ここ数年、除夜の鐘が深夜ではなく昼間や夕方に鳴らしているお寺があることにお気づきでしょうか。
年末の恒例行事である、「”除夜の鐘”をなぜ昼間に鳴らしているの?」と思った方もいるのではないでしょうか?
では、なぜ除夜の鐘を昼間に鳴らすように変化したのでしょうか。
原因としては、お寺で働く人も高齢化したため体力的な問題だったり、近隣住民からのクレームだったりだそう。
除夜の鐘にまでクレームをつけるという人が出てきたということに寂しさをおぼえます。
が、深夜から昼間に変更したことによるメリットもあるようで。
そのことを伝えるニュースがこちら。
時代の変化に対応しながら、文化をつなげていくことも大事なのかなと思いました。
このニュースに対する世間の反応も載せておきます。
今年も残りあとわずかとなったが、年末の恒例行事に“ある変化”が生じている。
それは「除夜の鐘」。
大みそか、深夜につくのが一般的だが、昼間に変えたところが増えているという。なぜなんだろうか。
令和最初の1年の終わりが近づいている。気づけば慌ただしい年の瀬。
その締めくくりは…12月31日の大みそか、深夜0時をはさんで響く108の鐘の音。「除夜の鐘」。
行く年を振り返り、新年の福を祈る日本の伝統行事だが、この「除夜の鐘」が近年、全国各地の寺から消えつつある。
◇
博多にある「東長寺」。
その歴史は1000年以上。
由緒あるこの寺では…。
東長寺役僧・江口光雅さん「去年から夕方6時から除夜の鐘をついています」
去年の大みそかを境に「除夜の鐘」の時間を夜から夕方に変更することに。
とにかく忙しいという年末年始。
寺で働く人が高齢化し体力的な問題もあるというが、もうひとつ別の理由が…。
東長寺役僧・江口光雅さん「近所迷惑というか騒音で」
「騒音」だという近隣の苦情だったという。実際どれほどの音が響くのか。普段もつくことがあるという昼の時間帯に1度だけ鐘をついてもらう。
every.「結構鐘の音が大きいですね。そして割と長く響いています」
さらに、改めて周囲を見回すと、道路をはさんだ目の前には商業施設やマンションなど多くの建物が並んでいる。立地の問題もあるのだろうか。近隣で話を聞くと…。
近隣で働く人「(Q毎日夕方5時に鳴っているらしいが)全く存じ上げません」
「(Q迷惑という声もあるみたい)かもしれないですね。でも毎日鳴らすわけではないから」
大みそかの夜、当たり前だった「除夜の鐘」。
都内にある寺でも、やはり「騒音」だというクレームが寄せられるなどしたため、「除夜の鐘」自体を5年前から中止している。
◇
ところが、「除夜の鐘」の時間を変更したことで、参拝者が急増したという寺もある。群馬県桐生市の「宝徳寺」。
宝徳寺・金子英宗住職「除夜ではなく、除“日”の鐘というのが正解」
4年前に時間を午前10時からに変更、「除日の鐘」とした。もともとは近隣住民が高齢化し、“真冬の夜の寒さ”を避ける気づかいから始めたという。
宝徳寺・金子英宗住職「『昼間だから参加しやすいよね』『孫と一緒に行ったよ』など。キッチンカーが出たりぐんまちゃんが参加したり、大みそかを楽しく送ることができている」
明るい昼間にイベントとして行ったことが功を奏し、参拝者は10倍以上に増加。住職自身の体力的にも…。
宝徳寺・金子英宗住職「(大みそかの夜は)かなり楽になりました。おかげさまで夜は寝られています」
ほかにも三重県にあるお寺が、鐘をつく時間を昼に変更し、やはり参拝者を増やすなど、今年の大みそかは各地で「除日の鐘」の音が響く。
引用:https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20191217-00000397-nnn-soci
『 年末恒例「除夜の鐘」深夜ではなく…昼間に』のニュースに世間の声は
子供の声、新幹線での弁当、サイレンの音、、
あの世に行けば聞きたくなっても聞けないんですから、生きてる間だけはいいじゃないですかね。
毎日のことじゃあるまいし。
「騒音」は分からなくもないけど、季節の風物詩とか風情とか情緒とかどんどん無くなっていくのかなー。
最近のクレーム言ったもの勝ちの風潮が強すぎるね。
素晴らしい日本本来の伝統も理解できない人が増えつつあることはほんまに寂しい。
情けない。
騒音と考える思考の人が居るんだな。
まぁシフト制で、元旦朝から仕事の人は、年越しなど関係なく普通に寝てるだろうし、私の親戚の70代の夫婦は生活リズムを崩したく無いから、年末年始関係なく、毎日夜9時頃には寝るらしい・・。
生活サイクルが多様化してるから、鐘の音が不都合な人も居るだろうけど、年一くらい、大目に見ようや!
そりゃ近隣の住民は音も大きく聞こえるだろうけれど、そんな何時間も続くわけでもあるまいし…
家を建てた後に寺が近くに来てしまったならお寺側に対策を求めるのも理解できます。
今時そんな事例は稀ですが…。
寺が近所にある事を知った上で家を建てた(建て替えた)なら、音くらい自分で対策して下さい。
二重窓でも防音壁でも対策はいくらでも出来たはず。
きちんと対策すればほぼ無音に出来ますよ。
金が無ければ心も貧しくなるんですね。
その伝統ある響きを騒音とは、はらいきれない煩悩を抱える現代人の悲しき象徴か……
窓から外を見るといつもより多くの家の窓に灯りがついていて、鐘の音がして、寝て起きたらお正月とちうのが非日常的で好きだったなあ。
平日の深夜ならともかく、一年に一度の年末の一夜。
これは騒音ではない。
大半の人が、今年も終わったね!って思い、聞いていると思うけどなぁ
世知辛い世の中というか、日本伝統の風情が無くなるのは寂しいけどね
人間は物を見るにも心を通してしか見ないし、音を聞くにも心を通して聞いてしまう。
心のすさんだ人には除夜の鐘は騒音としか聞こえないのだろう。
保育園の園児の声も騒音と感じる人もいる。
要するに、やかましいか、どうか、ではなく聞く側の心のあり方なんだと思う。
毎日やるもんでもないし、年に一回の風物詩。
その音を聞いてやっと年が終わって新しい年になり気持ちを切り換える人もいるでしょう。
なんだか、過ごしづらい世の中になっていきますね。
お客さんの工場も似たような状況で、元々工場があったのに後から住宅街が出来てしまい移転を検討中。
こういう工場の例って後から来た住人が移転費用負担出来ないのかね。
今回の場合、お寺があるのは知ってて引っ越して来たんでしょ?
もっと伝統というの守ってほしいし
お寺としてのプライドも持ってほしい。
でも中止にするお寺さんと言うのは、自分がつきたくないと言う人じゃないの?
普通のお寺さんだったらそんな罰当たりな事はしないと思うけどね。
そして、それを拾わない事が悪というような風潮にも違和感を感じます。
この流れを是正する必要があり、マスコミはその手助けをできるはずだと思っています。
そんな一部の声は無視して除夜の鐘続行しましょう。
そんな人に忖度する意味はないです。
年末独特の行事を将来につなげましょう。
「除夜の鐘を聞く!」と家族に宣言しながら結局寝落ちして聞けなかったのは。
次の年、初めて除夜の鐘を聞くことができ、なんか自分が少し大きくなった気がしたのが私の除夜の鐘の思い出。
折々の歳時記を大事にしようよ。
元々107はゆく年に撞いて最後のひとつがくる年だから、どうしても
というなら早めに撞き始めて最後のひと撞きは夜中だけど我慢しろ。
文句言うやつは転職するか転居してください。
お前が耳栓すれば済む話です。
本当にしょうもない。
公園や保育園の問題もだけど9の賛成、1の反対で反対側の肩を持ったら9の賛成者の気持ちはどこに行くのですか。
少数派の意見も大事ですが聞きすぎです。
声の大きい人は後から住み着いた人が多い。
後から来て文句を言うのは分からない訳でもないですが、近所に寺社仏閣や学校があったりするのは分かってて来てるんじゃないんですかね。
なんとも余裕のない人が増えたような気がします。
一年に1度の事を、後から来た人間が声高に苦情を言う。
権利意識だけは異常に高い人たちって、面の皮どれだけ厚いんでしょうね。
保育園とかも同じ問題に悩まされていて、日本人ってこんなにクソな人が増えたことが嘆かわしい。
うるさいと苦情を出す人物が勝手に鐘の近くに住み始めたように思います。
毎年の事なので嫌ならば下調べはするべきです。
寂しいね
ただ疑問が一つ
除夜の鐘って(一般の人達が)鳴らす事に意義があるの?
鐘の音を聴いて邪気邪念を払う事に意味が有るんじゃないの?
趣があって、もう新年になるのかぁ
って思いが湧いてくる。
昔からの たった一年しかない行事さえ
騒音だという人がいることに驚き。
昔からそこに住んでいる人は、言わないイメージがあるのは私だけかな。
なんでも 文句言う人に 合わせる世の中じゃ
もう何にもできなくなってしまうよ。
毎年除夜の鐘に来る人をたくさん見ています。
あの鐘の音が好きな人が沢山います。
一年に一度くらい、許してくれませんか?
最近この手のニュースをよく目にしますが、他のお寺もこうすれば参拝客が増えますよというお知らせなのでしょうか?
宗教法人化されたことで死活問題として参拝客を増やして利益を上げないとやっていけないというお寺もあるでしょうが、そもそも全てのお寺が一般社会の様にお金を稼ぐために運営されているわけではありません。
当たり前のようになっていますが、経済は生き方のひとつの選択肢に過ぎません。
本来、宗派は様々ですがお坊さんは食べるために僧侶になるのではありません。
鐘の音を聞いて年の区切りがついていたのにこうして季節感がなくなっていくのかな。